SNSが精神を支配するのか? ―SNSの掛け持ちについて―
Does the body rule the mind
Or does the mind rule the body ?
I don´t know….(Still ill / The Smiths)
先日、2025年3月3日をもってX(かつてのTwitter)に今のアカウントを作って10年となったらしい。
登録したのはXではない(筆者Xアカウントより)
そうしてこの10年を過ごしてしまえば、アカウントと自らが結びついて発言するのが当たり前のスタイルになった。しかし実を言うとTwitterを始める前の私は、インターネットの主戦場を匿名掲示板としていたのだ。
2015年当時、ニュース速報(嫌儲)を主に覗いていた私は――何がきっかけかはもう思い出せないが――何度目かの2ch(現5ch)の移住騒動に感化され、海外掲示板のReddit1と、当時のTwitterに現在も使用している(@Matcha1919)のアカウントを作った。この時、2つアカウントを作成したのは、その頃一本の柱にしていた2chに"住む"のをやめた時に、次に住処が駄目になった際に再び路頭に迷うことを恐れ、リスクを分散しようと考えたのだ。
移住直後はRedditの方を主軸にしていた2のだが、紆余曲折あり、結局Twitterを再び一本でしばらくやっていた。
少し前後するが、移住前の匿名掲示板に生息していた頃の話だ。当時の私は、コテハン(固定ハンドル)のことを毛嫌いしていた。「個人が特定できない真実の平等さこそが、インターネットのコミュニティの美点である!」と、そう考えていたのだ。しかし、完全匿名というのは良くも悪くも発言に責任が伴わず、気楽さとトレードオフで軽薄さをも伴うものだった。
匿名掲示板というのは1日毎にIDが切り替わるので、何を言っても「旅の恥はかき捨て」とでも言わんばかりに、同じ人間が住み着いているはずにもかかわらず、日々コミュニティ内の人間関係のリセットが起こる。そして、故にかはわからないのだが、当時は毎日のように何かしらの諍いが起こっていたように思う。更には、その諍いを起こしているのは、まとめブログでセンセーショナルな記事でビューを稼ぐための、工作員の仕業ではないか、という疑心暗鬼の空気まであった。火事と喧嘩は江戸の、もとい匿名掲示板の華であったとしても、私はいささかその空気に疲れていたのだ。
はっきりと発言と結びつくアカウントを持ち、責任ある発言をして、信頼できるアカウントをフォローする。気楽さを失う代わりに、もっと穏やかなインターネットができるのではないか。アカウントを作った頃の私は、そうした心境になっていたように思う。もちろん、完全匿名の気楽さを捨てることへの不安はそれなりにあったものの、すっかりアカウント性のSNSのスタイルに馴染むことができた。その後の私が穏やかなインターネットで暮らすことを実現できたかどうかについては……まぁまた、別の話だが。
ともかく、こうしてアカウント制のSNSを続けた結果、インターネット上の"わたし"を司っている私という個の人格は常にその後ろにありつつも、アカウント名「末茶藻中」3がもう一つの私の名前となった。
それは匿名掲示板時代にやってきた書き込みたち以上に、インターネット上の名前として、“私自身"に結びついたもののように感じられた。SNSでは割とインターネットになんでも報告するタイプのスタイルとなった私にとって、SNSの発言はある意味では現実の本名に基づいた発言よりも、私というものをありのまま、赤裸々に語っているように思えてくる。「個」を出すことを嫌っていた匿名掲示板時代から考えれば、これは大きな変化であろう。
さて、そうして長らく過ごしたTwitterだが、1年少々前ぐらいからだろうか。その名前がX(エックス)に代わり、そして名前以外にも様々な変化を経たことで、私は再びTwitter、もといX一本でやっていくことにも不安を感じるようになっていた。かつて2chを辞めようとなった時のように、もし慣れ親しんだ(インターネットの)土地に住めなくなってしまった時のために、今のうちにリスク分散をしておくべきだと考えた。そこで私は、流れのままに次々にアカウントを作成した――Misskey、Bluesky、Threads、Mixi2、など。
X(Twitter)一本でやっている人の中には、こうした分散の流れによってTLで目に入る発言が減ることをあまり歓迎したい方もいるだろうから、そういうことに関しては申し訳ないなと少し思っている。現に私もどちらかといえば、すっかりMisskeyに個人鯖を立てて、そこで発言することが多くなってしまった。
とはいえ、新たなアカウントを作ったとは言っても、SNS上の人間関係がリセット、あるいは全く新しく構築されたわけでもなく、どちらかと言えばX(Twitter)で見知ったアカウントの人たちと別のSNSで繋がっているのがほとんどだ。そして、どこもいくつかの違いはあるものの、形式としてはX(Twitter)式のタイムラインを持つSNSであり、匿名掲示板からSNSへと移り住んだ時のような変化はないと、そう思っていた。
しかしどうだろうか、Misskeyのノリにすっかり慣れてしまった私は、今度はX(Twitter)の、1種類しかない「いいね」のアクションを、少し物足りないと感じるようになってきた。ナンセンスなジョークに対して、笑い半分で「?」マークを付けるコミュニケーション、あるいはちょっとトバした感じの発言にびっくり顔「😮」を付ける……というようなことを続けた結果、X(Twitter)でナンセンスなジョークに「♡」をつける行為が、何だか「こうじゃない」ような気がしてきたのである。
ナンセンスなジョーク(筆者Misskeyアカウントより)
念の為断っておきたいのだが、この話はどちらが優れているという話でもなく、かつての(と言っても"引退"したわけではないのだが!)住処を腐すつもりもない。「♡」あるいは「☆」の1種類しかないリアクションに様々な意味を込める曖昧さ、ここに魅力を感じている人たちだっているだろう。
これは私の方が、SNSの持つ仕組みによって、変質させられているのである。同じ人、同じ発言、しかし異なるリアクション機能によって、リアクションを投げ合うコミュニケーションは、おそらく私の中で姿を変えてしまっている。いわば、SNSの機能が、私の行うコミュニケーションを支配しているのである。
ところで、場としてのSNSのあり方が変質してきているのは、X(Twitter)をずっとやっている時にも感じることがある。
先日、X(Twitter)ではいいね欄が非公開になってしまった。これはこっそりエッチなイラストにいいねを付けてもフォロワーにバレないなど、悪いことばかりでもないのだが、しかしこの変化によって、私にとってのX(Twitter)のコミュニティの場は変質してしまったと感じる。かつて、ポスト(ツイート)のいいね欄を覗けた時には、そこに見知ったフォロワー/あるいはフォロワーのフォロワー、のアイコンがあって、存在を意識することができた。更に、直接はフォローしていない人とも、そこには緩やかなつながりが感じられた。かつて、私たちは虚空へと好き勝手に呟いているだけに見えて、そのようにして"場"を形成していたのだと思っている。
しかし、ポストやアカウントのいいね欄が見られなくなってしまった結果、そこにあった緩やかなつながりは失われてしまった。今は、フォローしたアカウントがフォローしていないアカウントと空中で行うやり取りが、いかように成り立っているのか、私からは手繰る術がないのである。これそのものは良し悪しという話でもないのだが、しかし私にとっては、いいね欄の非公開によって、今までのX(Twitter)のコミュニティが断絶されているかのように感じられてしまった。
あと大きいのは、旧TweetDeckの廃止だろうか。さらに遡ればAPI規制によってサードパーティのクライアントが壊滅したのも辛かったが、その時はまだ受け皿として、旧Tweetdeckがいたので耐えられた。しかし、その旧Tweetdeckが廃止になった時、新たなTweetdeckにはどうにも馴染めずに、X(Twitter)をやることがどうにも気持ちよくなくなってしまった。新しい方も使い続けていれば慣れるのかもしれないが、今は有料サービスなので使っていない……。
こうして、そこにいる人も、更には発言をする私も変わらずそこにいるはずなのに、X(Twitter)は私にとっては変質したコミュニティの場となってしまったのだ。これは、イーロン・マスクのスタンスに賛同できないというようなことよりも、SNS上の生活の基盤を揺らがすものであって、私にとっては切実で、そして致命的であった。
こうした変化を経て、広告にまみれたX(エックス)から少し心が離れてしまうことも、それは仕方がないのではないか、ともいささか思う。私が私を変えたのではない、今のX(エックス)が私を変えてしまったのである。
とはいえ、何度も言っているように私はX(Twitter)から引退したつもりはない! 依然として人が大勢いる大都会としてのX(Twitter)の魅力は唯一無二で、ここにアクセスできることを捨てるつもりは毛頭ないからである。
しかし、私が思うのは、持続可能なインターネットを続けるのであれば、X(Twitter)に固執せず、試しに他のSNSにアカウントを作ってみるのもそう悪くないのではないか、ということだ。先日もX(Twitter)で大規模な障害が発生し、数時間見られなくなってしまった。そこで落ちてしまったSNSの話ができる別のSNSがあるだけでも、気持ちの持ちようが結構違うというものだ。
移住を推奨する紹介文ではなく、掛け持ちしている私の体験談ということで、X(Twitter)以外のSNSの話をもう少ししたい。
まず、今メインで使いがちなMisskeyについて。4

Misskey.io
ここは好き嫌いが分かれるだろうが、豊富なリアクションが使えることが大きい。先程も書いた通り、これはよくも悪くもX(Twitter)からすると大きく差別化されているポイントだろう。個人的には、すっかりリアクションのノリに慣れてしまったので、結構気に入っている。慣れのパワーは凄くて、なんとなく抵抗があった絵文字を使うことへのハードルがかなり下がっているのを感じている。そのうちイタい感じのメールを送る人になるかもしれない。
私が登録をして、そして自前の個人用サーバを立てているのはMisskeyというソフトを使っているのだが、これのもう一つの特徴はFediverseと呼ばれる、ActivityPubというSNSプロトコルを持つSNSであれば相互に繋がることができるという点である。なので、私のMisskeyアカウントからは、Mastodonやその他のサーバのアカウントをフォローすることもできる。
Mastodonは多彩なリアクションを持たない硬派な仕様らしいので、リアクションに興味がない方はそちらに登録した上で末茶藻中をフォローしてもらいたい。私がいくらサムいギャグに「?」のリアクションを送ろうとも、あなたに届いているのは「♡」なはずだ。

Mastodon - 分散型ソーシャルネットワーク
もう一つ続いているのはBlueskyである。
これはよくも悪くも「かつてのTwitter」を目指して作られた雰囲気があって、Webブラウザの標準クライアントはよくも悪くも昔のTwitterのシステムそっくりである。故に、2chに対するしたらばのように、X(Twitter)の避難所として使いやすいのはBlueskyではないか、と感じる。

Bluesky
Blueskyは正直見ている範囲ではあまりユーザーがいなくて流速が遅いのだが、案外その少し閑散とした感じが、自分としてはちょうどよく感じられることもある。X(Twitter)は賑やかで、例えば流行りのコンテンツについて発言する時、周囲と同じ熱量を持てていないと感じて、なんだか妙に落ち着かない時が私はある。また、そういう空気のTLで発言しようとする時、どうしたって「ウケたい」という邪な気持ちが湧いてきてしまって、それで逆に疲れてしまう、というときもある。これもまた、ある種SNSに精神が支配されていると、そういうことなのだろう。
そんな時にBlueskyぐらいの規模感のところで、誰にウケようともせず、マイペースにつぶやく、これも案外悪くないのだ。私のようなSNS中毒にとってはじゃあSNSをやめて野山を見よう! と思っても、なかなかそんなことは上手くできないわけで。そこで言うとシンプルなBlueskyの温度感が心地よい、そういう瞬間も案外あるのである。
Blueskyの公式クライアントは正直イマイチだと思うのだが、現状ではサードパーティ製のクライアントが使えるので、そちらを探してみるのがいいと思う。私はTOKIMEKIというクライアントを使っている。
X(Twitter)が旧Tweetdeckによって気持ちよくなるように、SNSを触る上でクライアントアプリは重要な要素だと思う。
かつての2chで移住騒動があった時、私はかつての住処を捨てる覚悟を持っていた。しかし、ネットの"移住"はもっと気楽でもよいのではないだろうか。もしかすると精神は国をまたいだ大移動をしている気分かもしれないが、しかしインターネットブラウザのタブをちょっとクリックすれば、ものの数秒であっという間に国間、もといSNS間の移動ができる。体に支配された現実世界の移動よりも、よっぽど気楽だ。
こうして復数のSNSを使ってみるのは、SNSに支配された精神を少しばかりコントロールするための工夫でもあると考えている。X(Twitter)で自分が変に白熱しているなと思えば他のSNSを使ってみればいいし、逆に他のSNSが過疎ってつまらなければまたX(Twitter)を見ていればいい。
ここでどの仮面を選んで付けるかというのは、間違えなくユーザー側に与えられた自由なのだ。
そうして私は復数のSNSのタブを開きながら――どこでも同じように、流れてくるちょっとエッチな萌えイラストに「♡」を付けるのである。
なお、各所の筆者アカウントについては当サイトの以下を見ていただきたい。

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画像はTVアニメ『ちみも』©ちみも より
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英語が話せないので、その日本語移住者たちの少数コミュニティに属していた。 ↩︎
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そこに属していた歳月はそれほど長くなかったが、振り返るとブログを作ったりオフで人と会うなど、今のインターネットスタイルをやっていく上で大いに影響を受けた。 ↩︎
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昔は「末茶」だったが、TLに流れてきた海外のイラストレーターさんが同名だったため勝手に気まずくなり、変更した。今は被らなくていいと思っている。呼び方は好きに呼んで頂いて構いません。 ↩︎
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厳密にはソフトウェアの「Misskey」と最大インスタンスの「misskey.io」は異なるものなのだが、ややこしいししっかり説明する自信もないので、今回は一個のSNSとして書いている。すみません。 ↩︎