リアルタイムコンテンツの魅力と難しさ ―蓮ノ空102期生の卒業を受け―
予想出来ない一日と君はとても似ている
例えるならばジェットコースターを見てる感じかな
急上昇して急展開 急下降して急旋回
全速力だよね毎回 なんて楽しんでいる(Holiday∞Holiday / スリーズブーケ)
(蓮ノ空へ向けてのご挨拶)
乙宗梢さん。夕霧綴理さん。藤島慈さん。
蓮ノ空女学院のご卒業、おめでとうございます。
ご卒業後の皆様の未来に多くの幸があらんことを、心よりお祈りしております。
また、今後103期生、104期生に、あらたなメンバーも加わるであろう、
来年度の蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブの、今後のご活躍につきましても、
合わせて心よりお祈り差し上げます。
そして、ありがとうございました。楽しかったです。
Up, down, turn around
Please don’t let me hit the ground
Tonight, I think I’ll walk alone
I’ll find my soul as I go home(Temptation / New Order)
(続いて。以下、現実の話)
2025年3月をもって蓮ノ空102期生が卒業となった。『ラブライブ! 蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』というのは創作物の話であるので、当然この卒業というのも物語上のことである。しかしながら、私がその物語上の人々に対して、ここ現実世界で書く文章において、まずはこうして挨拶をせずにはいられない。 これは、このコンテンツが「リアルタイム連動コンテンツ」であるという特徴によるものだ。蓮ノ空というコンテンツは、そこに"生きた人間がいた"と錯覚させることを、ギミックとして有しているであったからである。
リアルタイムコンテンツには、それでしか描くことのできない、極めて誘惑的な魅力があった。私が蓮ノ空に触れて、特に印象的だったことを話したい。
あれは、私が蓮ノ空を追い始めて間もない2023年の12月の頃。その時活動記録(ストーリー的なもの)を後追いで読み進めていた私は、当時の1年生、103期生である日野下花帆さんの雑談配信を、With×MEETSで見た。それは他愛のない内容だったのだけれど、「ラブライブ」の大会に向けて練習してるよ、というような話があった。活動記録という物語を追っていたので、私は日野下花帆さんをキャラクターとして認識していたのだが、その配信を見て、何故か、頭を殴られたような衝撃を受けた。画面の向こうに配信している日野下花帆さんがいて、その彼女が"今" “この瞬間” ラブライブでの勝利を目指して特訓をしているんだ、ということが実感として、突如心の中に去来した。そして私は思わず「頑張ってください。応援しています」というコメントを配信内に残した。なんてことのない内容だが、この裏で私はくらくらとしていた。蓮ノ空の世界に自分が飲み込まれたような感覚があったからだ。
後にその雑談配信をするという話が活動記録で要素として回収されて、私は改めてまた"喰らって"しまった。こうした相乗効果でやっていくのが、このコンテンツの強さなのだ、と思った。
リアルタイムコンテンツということをやろうとしているのは何も蓮ノ空に限ったことではない。
しかし、「スクールアイドル」の高校3年間のきらめきを描いてきたラブライブ! シリーズにおいて、こうして短い数年間を実際の時間として表現したこと。そして、配信という形態を含むことによってその活動にファンとして参加することができること。こうした体験をもたらしていたのはかなり挑戦的であり、おそらくはアニメシリーズが主体であったラブライブ! シリーズにおいて、今まで実現し得なかったであろう、あらたなコンテンツ体験の形を私たちに提供してくれていた。これは、偉業と言っても差し支えないと思う。
無論、蓮ノ空の魅力の全てがこうしたリアルタイムコンテンツというギミック一本に集約されるとは思っていない。「伝統の継承」を標榜した歴史ある部活動の奥行きの面白さであったり、スクールアイドルたちのスタンスや考えが入り乱れつつも複雑に絡み合って織りなす人間模様の見応えだったり、シンプルに萌えがあったりしたりと、いろいろな良いところがあった。
しかしながら、やはりこうして102期生の卒業という節目を迎え、蓮ノ空というコンテンツにおいて、リアルタイム性というのは切っても切れないものであるなぁと、改めて感じている。そしてそれは作品に唯一無二の魅力をもたらしたことと同時に――こと私の場合に関しては――特に最近、受け取ることの難しさもまた、もたらしていた。
特に2年目の蓮ノ空においては、いくつか更に挑戦的な体験を提供するギミックがあった。
1年目も通信帯域を我々ユーザーが確保する、という名目のレイドバトルがあったが、2年目ではラブライブ! の物語上での体験をリアルライブで追体験させるような試みや、私たちによってラブライブ! の形が変えられる、というイベント体験が提供された。しかしながら、このあたりについて、正直なところ私は上手く受容できなかったな、と感じている。キャストライブを見ている私が(名目上追体験というスタンスは感じたものの)ラブライブ! という大会の観客として振る舞うことが、感覚的にわからなかったのだ。故に、私が今ラブライブ! の大会を見ているのだ、という感慨を生み出すことができなかった。そして、ラブライブ! という大会を変えてよいものか、これについてもあまり答えが出せなかった、というあたりが理由である。
蓮ノ空がリアルと物語を交差しながら新たな体験を生み出したい、という姿勢について、その意思は伝わってきた。が、こうした節目のイベントで、コンテンツを受容する自らのあり方について、ふと考えることになってしまったのも、私にとってはまた目を背けきれないことであった。今まではなんとなく受け取ってこられた、ある意味ではスクールアイドルの皆さんの裏側を勝手に覗き見る、活動記録の受容についても、少々思い悩むことがあったりした。それが悪いと断じたいわけではないのだが、構造上のこうした矛盾について、蓮ノ空はついぞ設定上で巧みな回答を出すことはできなかったな、とは感じている。
最後に、これは全くもって個人的で、一見無関係な話で恐縮なのだが……しかしだからだろうか、個人的には最も大きく、意識が変化せざるをえないきっかけがあった。これについては本当に個人的な理由なので、コンテンツのあり方を非難するものではない、とますは断らせていただきたい。
今年の2月のことである。学生時代から長年ファンだったthe pillowsというバンドが35年の活動を経て解散して、作られたものではない「終わり」に、蓮ノ空の卒業イベントの直前に、私は直面することになってしまった。1
2025年1月31日の、ピロウズの(結果的にそうなった)ラストライブに、私はたまたま参加していたのだが、特にその夜アナウンスはなく、解散が発表されたのはその翌日のことであった。すなわち、ピロウズは終わりに際して「ラストライブ」あるいは他にも「ラスト」と銘を打つなにかを特にしなかった。これは何も「普段通りの終わりがよい」というものではなくて、それしかできなかった、泣きながらライブを見るファンとどう空間を作ればいいか、わからなかったからという。ファンとして、私も正直そう思う。解散と聞いた時に、どのような気持ちで佇んでいたか、想像もできない。解散はそれはそれとして、それを知らなかったあの夜はそういう悲しいことがない、ただ楽しい瞬間だったから。
ピロウズの解散について、まだ一度もインタビューみたいなものは出てきていない。これはおそらく、けして望んだ終わりではなかったので、彼らは解散を"美しきドラマ"とすることを、していないのだと思う。
解散はもちろんファンとしては寂しいが、しかし様々なままなさなさがあったであろうことも想像できた。なので、メンバーが新たな再スタートを切ることができる解散というのは、ある種前向きなことであって、いつまでもメソメソとしているものでもないのではないか、というぐらいに整理はついている。
しかしながら、この出来事によって色々と考えた結果、どうにも蓮ノ空の卒業というひとつの「終わり」を、エモーショナルで感動的なものとして提供している物語を、正直言って上手く受け取れなくなってしまっていた。もちろん、バンドの解散と違って学校の卒業というのはめでたいことでもあることも、またこの卒業というのは蓮ノ空というコンテンツの性質上、当然来たるべき終わりのイベントであることも、頭ではわかってはいる。更に言うならば、私もおそらく他のファンの大勢の方々同様、この卒業の瞬間が当然来ることを理解した上で、蓮ノ空を楽しんでいたはずなのである。しかし、この終わりによって生じる悲しさや寂しさを、山場のイベントとして提供されることによって、私の感情を揺さぶられ続けることに……どうも私はいささか疲れてしまった。
これが単純に物語としての卒業、終わり、そういうものであれば、受け取り方も違ったのではないかと、正直思う。しかし蓮ノ空は現実のコンテンツの歩みと物語をシンクロしながら進めようとしているので、102期生の卒業にあたって、私たちはキャストの卒業にも向き合わないといけないことになる。そうしてコンテンツが"作り上げた" “物語としての側面もある"キャストの卒業を、果たして私は真正面から受け止められるのか、その自信が今は全くない。
卒業ライブに参加したとして、どういう顔をして、どう振る舞ったらいいのかわからない。だって、終わりって悲しいものじゃないか。この悲しみを"エンタメとして提供される"ことを、今私は上手く受け止められないのだ……。
蓮ノ空のチャレンジした、リアルタイムコンテンツという試みは、非常に面白いものであったと思う。しかしながら、それが実際の私の現実とも絡まり合うが故に、本来関係ないはずの、現実の出来事が、蓮ノ空を受容していくに際して、無視できなくなってしまった。これは、リアルタイムコンテンツの持つ、難しさでもあると私は感じる。
しかしながら、つい先程『Fes蓮ノ空102期生卒業ライブ』の配信を見て、本当に今まで楽しかったし、いろいろな美しいものを見られたし、素敵な日々だったな、と心から思う。現実の私は高校生活のようなタイトで濃厚な時間を過ごしていないので、この1年はあまりにも早すぎるようにも感じられた。でも、楽しかった。いろんなものを見て、ライブを見て、あるいはファンの方と会ったりして、どれもいい思い出だ。だから、来年の蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブを見届けられなくて、本当にごめんなさいと、そう思っている。
最後の話みたいになっちゃったけど、心境が変わったら全然元気にまた追いたいなと思っているし、そうならないかもしれない。未来がどうなっているかはわからない。
ただ、今あらためて言いたいのは「今までありがとうございました」と、それだけ。それだけのこと、です。
美しきものを、ありがとうございました。
『Fes蓮ノ空102期生卒業ライブ』を、自室モニターにて。