白い夏と橙の電車


ふと、夏を感じたくなった。

普段、オタクの私にとっての夏のイベントといえばコミックマーケットだ。猛暑を越えて酷暑というこの暑さの中、様々な対策を施して、私と同じように汗だくのオタクたちに揉まれながら、エロ本を買う。夏の風物詩である。もちろん今年も参戦して、エロ本を購入した。
こう言うことを言うと「や、コミケにあるのはエロ本だけではない!」と真っ当なお叱りを受けそうであるが、しかし私はエロ本を買いに有明へと行っているので、私にとってはエロ本を買うところなのだ、と言い訳させていただきたい。

しかしながら、エロ本を買うことに、夏の風情は、はっきり言って、ない。

エロやオタクを眺めるのではなく、平野に広がる稲穂を、山林にそびえる逞しい木々を、遥か遠くまで続く海を、そういうものを見たいときが、有明にエロ本しか買いに行かない私のようなオタクにだって、ある。

イメージの中の夏は、ある種の爽やかさをもって想起される。川のせせらぎ、風鈴の音、そういうものが日本の夏ではないのか。そういえば、影山監督の手掛けたアニメ『事情を知らない転校生がグイグイくる』5話の夏感はそれはもう素晴らしかった。ああいう夏を感じたいのだ。現代の実際の夏が35度を悠々と超え、気分的に嫌になるどころか普通に死の危険をすぐそこに伴っているような、過酷なものであったとしてもだ。欲しいのはYo La Tengoの『Summer Sun』の世界なわけだ。
我々が想像する"あるべき日本の夏"は、特に都市部に住まう人々にとってはもはやある種のフェイク、フィクションなのかもしれないが、しかしだからこそ求めたいときがある。そういうものではないか。

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『事情を知らない転校生がグイグイくる』5話

ので、夏を求めに行った。房総半島に。

五井駅から小湊鉄道〜いすみ鉄道を乗り継いで、房総半島を横断することができるルートがある。前々から一度訪れてみたいと思っていたのだが、なかなか実行する機会がなかった。私は千葉住まいなので、そこそこのアクセスの良さで手軽に"夏"を探しにゆける。
旅情を感じるならばローカル線が一番面白い。飛行機や車と比較して、この鉄道の移動に感じる旅情はなんだろうか。鉄道そのものがそうした旅を思わせるモチーフとして脳に刻まれているからなのだろうか。小湊鉄道のちょっと古ぼけた、小さくてかわいい車体が、ますますその旅感を膨らませてくれた。

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小湊鉄道の車両

とにかく電車に乗ることしか考えていなかったので、どこで降りるかもはっきり決めないまま、途中下車可能な横断切符を五井駅にて購入する。切符を買う時に「いすみ鉄道との接続があまり良くないので、お気をつけください」と教えてもらった。
電車に乗り込んで、そこではじめて時刻表を見す。いすみ鉄道との接続の上総中野駅にて、どうも1時間ほど時間が開いてしまうらしい。そこで、手前の養老渓谷駅にて下車してみることにした。移動するだけであれば、接続を考えなければ2時間ほどで終点の大原駅にたどり着いてしまうルートなのだが、それでは面白くない。今日はぼんやりと散策に来たのだ。

住宅地を抜け、いくつもの無人駅を越え、養老渓谷駅までたどり着いた。古びた駅で売店のおかみさんが切符を確認していた。ちゃんと確認するんだ、とややドキドキしながらフリーきっぷを見せ、駅を通り抜ける。

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養老渓谷駅 駅舎内

狭い駅舎の中は冷房が効いていて快適に過ごせそうだったが、その僅かな涼しい空間を過ぎると、再び真夏の熱気とぎらぎらとした光が襲いかかってきた。
電車の時間に合わせているのか、外には観光用っぽいバスが停まっていて、ほとんどの人はそのバスに吸い込まれていった。私も暑さに耐えかねて、どこに行くのかもよくわからなかったが、そのバスに乗り込んだ。終着点は「粟又の滝」とある。なんとなく温泉街の方でも散策しようか、と考えていたのだが、グーグルマップでその滝を検索してみると、方向自体は間違っていないようだった。まぁ、なんとかなるだろうと思いながら、バスの中でマップを見ていた。マップを見ていないと、どこを走っているのかわからないからだ。
技術の進歩は、目まぐるしく加速している。そうして現在地を確認しつつ、次に行くところをぼんやりと検討する。

ところで、知らない場所で訪れるスポットを検索していると、度々遭遇する「フォトジェニック」という言葉がある。これそのものは単に「写真写りがよい」ぐらいの意味らしいのだが、このワードが伴いつつ持て囃される様に、私はあまりいい気持ちを抱いていない。反感……というと言いすぎかもしれないが、正直言ってあまりおもしろくないと思っている。
そのスポットがフォトジェニックとして紹介されるとき、時々決まり切った風景というものが提案されていることがある。例えば「千葉のこのスポットはこの時間帯であれば光が差し込み水に反射してハート型に見えますよ」というような風に。そうしてスポットについてインターネットを探すと、似たりよったりの構図が次々に出てくる。確かに、そこで最初にハート型の光を撮影した写真は面白いのだと思うが、しかし以降は決まりきった美しさを"確認"するだけになってしまう。そして、それはあまり面白くないのではないかと私は思ってしまうのだ。

いや、これが本気で写真をやられている方であれば、似たような構図からもいろいろと工夫されることも恐らくあるのではないかと思う。
しかし、私のような超素人で、そのあたりをブラブラしてちょっと撮影してSNSに投稿して、そしてわずかばかりの反応を貰う、みたいなネットユーザーとしては、せめて自分自身でもっと"発見"をしたいのだ、と考えてしまったりするのだ。

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養老渓谷 風景

……と、そんなことを考えながら養老渓谷随一のフォトジェニックスポットのトンネルに辿り着いた。2段になっているトンネルが、実に"映える"と言われているスポットらしい。
ある程度写真撮影を目的に来ていると、人はついフォトジェニックなる風に紹介されるスポットを訪れて、ちょっといい感じの写真を撮影して、わずかはかりの反応を簡単に獲得したくなってしまう。悲しき性の生き物なのである(個人の見解です)

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向山・共栄トンネル

先の「フォトジェニック」のような風潮に対する反発ではないかと勝手に思っているのだが――あるいは、こういうものは昔からあったような気もするが――ともかく、SNSで誰もがいい感じの写真を上げて反応を獲得している裏で、ちょいちょい写真アンチみたいな意見もたまに見かけるようになった。「旅がカメラに支配されている」「ファインダーを覗くのをやめて自分の目で風景を見るべきだ」「記憶の中に残るだけの体験こそが真実、写真はフェイク」そんな感じのナチュラル派の意見だ。
まあ例えば、美味しそうな食事を前にして必死にカメラを構えるSNS人の行為を浅ましいと感じることも、わからなくはない。それはどうも食事を楽しんでいることとはちょっと異なってくるようにも思う。SNSでの反応を得るために、“真実の美しい食事の時間"が損なわれてしまっていると、そういうことなのではないか。

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養老渓谷の洋食屋で必死にカメラを構えた写真

とはいえ、こと私に限っては、写真を撮りに出かけることほど有意義で、かつ世界の美しさを積極的に捉えようとする行為はないとも感じている。私はぼんやりしているので、日頃対して世界の美しさに対して敏感ではないのだ。そもそも、写真撮りモクでもなければ外出すらしないと思う。しかしそれがファインダーを通すと、積極的に何かを"発見"しようとできるのだ。写真を撮るという行為自体が、何かを見据えようとするってことでもあるのだ、と思う。
写真というのはもちろん現実をそのまま切り取ったものでは全然なく、言葉を選ばなければそれは”ウソ”である。しかし、そもそも、私達ヒトの世界の捉え方だって自分勝手なもので、紫外線を視覚できる蝶からしたら「あいつらヒトの世界の捉え方はムチャクチャだよ。モンシロチョウのオスとメスが同じ色に見えるって、ありえないだろ」って思われているのだろう。であれば、何がウソで真実かを問うなんてナンセンスなことじゃないか。

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大多喜城(県立中央博物館大多喜城分館)

養老渓谷を後にし(さらりと書いているが、ぶらぶらして戻るまでに暑すぎて倒れるかと思った)上総中野からいすみ鉄道に乗り換え、途中大多喜に立ち寄る。

今日はオタクじゃないぞという気持ちで動いていたのだが、駅舎内に展示されていたチアフルーツのポップに、思わずオタクフェイスで涙……。

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大多喜駅 駅舎内

なぜかシャニマスさんもいて、完全にオタク。

再びいすみ鉄道にて移動し、国吉駅へ。
ここには遮断器のない踏切があり、ちょっとした写真撮影スポットとして人気らしい。結局、この旅は完璧に「フォトジェニック」に支配されている。シャニマスの展示でも紹介されていたのは、完全にオタク衝突事故だったと思うが。
何もない田舎の道路を歩き、田んぼ脇の道を歩いていくと、突如として「なにもない」踏切が登場する。実際見てみるとなんてことはない、ぽつりと「とまれみよ」と書かれた踏切警標が設置されているだけの場所だ。

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第二五之町踏切

とはいえ、こうして写真を撮ってみるとだんだんと神秘的な光景という気持ちにもなってくるから不思議なものである。写真が先か世界が先か、我々は何をもって神秘的であると感じているのであろうか。
撮影スポットということなので、人が結構いたら嫌だなぁという気持ちもあったのだが、しばらく滞在しても誰も訪れる人はおらず、穴場的にのんびりと楽しむことができた。そんな風に踏切とひたすら格闘していると、いつの間にやら辺りは暗くなっていた。いつのまにか夏の昼の暑さも和らいで、刈り取られるのを待っている稲穂の光景はどこか秋を思わせていた。盆が終われば、じきに夏も終わる。

振り返ってみると、あの時間、そこにあったのは紛れもなく、求めていた夏の夕暮れであったように思う。結局この文を書いているのはもう9月だが、写真を見るとそこには確かに夏があったような気がするのだ。

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第二五之町踏切といすみ鉄道の車両

せっかくなので撮り鉄みたいなこともやってみた。撮り鉄って電車が通るまでじっと待って一瞬のためにものすごく苦労しそうで、大変な営みだなぁと思う。というか、写真をガチでやっている方々は大抵そうした苦労によって写真を撮影していたりするような気もするので、大変なことだと思う。

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国吉駅

国吉駅に戻って、終点の大原駅へ。そこからはJRで一気に帰る。
大原駅で、再び園田智代子さんがいて、ウケた。結局オタクに終わる、というワケだ。

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大原駅

園田智代子さん、ありがとうございました。
なぜか終わって見たら接触効果で園田智代子さんがほんのり好きになった小旅行であった……。

ところで、フォロワーさんが写真投稿サイトをやっていて、僕も今回の写真とか、何度か投稿したことがあるのだけれど、ここの雰囲気が凄く良いなと勝手に思っているので最後に軽く紹介させて欲しい。
結局僕は「フォトジェニック」に支配されているわけだけれど、ここではそういう見栄えのいいだけじゃなくて、おたくの人たちがちょっとおもしろいなと思った写真が投稿されている。これってどこまでも拡散する見栄えのいいだけのインターネットじゃなくて、凄く小さなところで上手く回っているインターネットだと思うし、こういうのを大切にしていきたいとつくづく思うのだ。


©川村 拓/SQUARE ENIX・事情を知らない製作委員会がグイグイくる。

©チアフルーツ製作委員会

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