富山の実家の近所にアニメキャラが来た その2 -電鉄黒部~魚の駅 生地-

富山の実家の近所にアニメキャラが来た その1 -黒部宇奈月温泉駅~宇奈月温泉-
前回は黒部宇奈月温泉駅から宇奈月温泉までの、どちらかと言えば旧宇奈月町寄りの黒部市の話をした。
今度はどちらかと言えば海側、旧黒部市側の話をしていこう。
電鉄黒部駅(三日市)
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(ちゃちゃっと停めてサッと写真を取ったら自分のチャリが写っちゃっててよろしくない…)
アニメ『ざつ旅』2話で一行が黒部宇奈月温泉駅から徒歩で移動して、そこからバスに乗ったのが電鉄黒部駅である。奥に見えているのが駅入口。
黒部市内は気がついたら結構「黒部」と名の付く駅が多くなっていて、市外の人にとってはいささか紛らわしい。「黒部宇奈月温泉駅」このやたら長いのはご存知の通り新幹線駅。「新黒部」は新幹線駅に併設されている、地鉄への乗り換え駅。「黒部駅」は旧JR北陸本線のあいの風とやま鉄道が通る、実質市の中心駅。そして「電鉄黒部」が黒部市の中心地といっても差し支えないだろう、三日市の町中にある地鉄の駅なのである。
こうして並べて見ると結構駅あるがやなぁ、などと思うのだが、この電鉄黒部を利用した記憶、恥ずかしながらほぼない。
そもそも、私は地鉄をあまり使わないのである。高校の時に放送部の取材で上市を訪れたので、その時使ったのは地鉄であったはずなのだが。あれはどこから乗ったのだっけか。少なくとも長年黒部市で暮らしてきて"地鉄に乗った出来事"が結構珍しくて記憶に残っているぐらいには、あんまり使っていない。
例えばそもそも生まれが三日市の人とか、あるいは地鉄上に学校とかがあるのであれば結構使われることもあるのだとは思う。しかし今の黒部市は基本的には車王国であって、地元の人がちょっと新幹線の駅に行く足もその1でも書いたように車であるから、あんまり正直なところ、海寄りで生まれ育った自分としては馴染がない。中高生が富山(市)行くってなったら(旧)JRを使っちゃう感じだし。
電車の移動が日常的で、使う使わざるに関わらずある程度路線の流れを意識することになる都会の暮らしと比べると、田舎の電車というのはあくまでサブの移動手段であって、子供時代の私にとっては、あんまり意識することがなかったのかもしれない。
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電鉄黒部駅の駅員さんに頼むとステッカーが貰える
アニメではこのあとバスに乗って海寄りの生地まで移動していたが、私の移動手段はチャリなのでここからぼちぼち南下しながら進む。せっかくなので三日市の話でももう少ししよう。

電鉄黒部駅周辺。「ニュー上海」の雰囲気がすごい
電鉄黒部と黒部駅のお膝元あたりの地域ではあるが、「黒部の町」とかそういう言い方は全くしなくて、このあたりを指すとしたら確実に「三日市」しかない。「三日市」全国各地にある地名で、その名の通り三日に一度市場が開かれていた名残なんだろうなぁと思わされる。
商店街があって、黒部市内ではかなり街っぽさがある地域ではあるのだが、とはいえ今の黒部市の商業の中心、とまで言っていいものかは微妙なところだ。お買い物の中心は国道8号のロードサイド店の存在感が強いし、ショッピングセンターもある。私が子どものころ、はじめてメガネを作ったのは三日市の時計屋さんであったが、今となっては国道にメガネハウスがあって、とりあえずそちらに行く人のほうが多いのではなかろうか。
一方でショッピングセンターも、黒部市内では存在感のあった黒部サティは黒部アピタになって、その後閉店してしまった。(市の感覚としては)巨大なショッピングセンターの跡地がただそこに残っているのはかなり寂しさがあったのだが、2022年にはここにアルビスという大型スーパーがオープンしたようで、ちょっとした嬉しさがある。
ちなみに、三日市の方にもメルシーという昔からのショッピングセンターがあって、ここはまだ元気に営業している。昔メルシーのおもちゃ屋さんでベイブレードを買ったりした……。
ここ三日市には「黒部市民病院」や「黒部市役所」などもあって、やはり黒部市の中心と言われるとここではないか、という感がある。
「八心大市比古神社」もこのあたりにある。「三島神社」と呼ばれていることしか聞いたことがなかったので、そんな名前なんだということを調べて初めて知った。黒部市内では一番大きな神社なので、普段はのんびりとしたところだが、初詣の時期には参拝客が列をなしている。

三島神社
あとは居酒屋みたいな店が結構多い。先日正月に実家に帰った時に、地元の連中と飲みに行くか、という話になって、このあたりをブラブラ回っていたことがある。居酒屋というのは子どもの頃はあんまり意識しないものであるので、改めて調べて見ると結構あるんだなぁということをこの年になって初めて知ったりもする。
三日市の町並みを眺めながら1キロほど南下していくと、あいの風とやま鉄道の「黒部駅」がある。昔は三日市駅、という名称だったらしい。
黒部駅にはそこそこデカい駐輪場がある。通学はもちろん、中高生はできる限りの距離をチャリで移動するので、それよりも遠くに行くときはここまでチャリでやってきて電車に乗る、みたいな選択肢がある。

黒部駅
そんな黒部駅も正直「なにもないんですね、ここ」のイメージだったが、キレイなローソンができていた。2017年開店らしい。帰省してもあんまり駅を利用しないと気が付かないものである。この建物はK-HALLというらしい。
あと真新しいYKKの社宅とかがある。YKKは黒部市を陰から牛耳っているメガ工場であり、黒部市民の大人の3人に1人ぐらいはYKKに勤めている(完全なイメージ)
市内で「なんかあんまり市内っぽくないメチャクチャキレイな建物あんなぁ」と思ったらだいたいYKKの社宅である(実体験を踏まえた完全なイメージ)1

黒部駅前のローソン
魚の駅 生地(生地)
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現代の黒部市を構成する要素として、山、田、YKKがあることは今まで述べた通りだが、更に海もある。黒部市を含む黒部川扇状地は黒部川が運ぶ土砂によって作られた扇状地だが、その黒部川は海へと流れ込むので、海に面した扇状地なのである。山、田、YKK、海が黒部市を構成する、いわば四大元素と言っても差し支えないだろう(※独自の見解です)
海岸寄りの地域でも、中でも生地というのは漁師町として栄えた雰囲気の漂う町である。魚の駅 生地というのは黒部漁港(通称として生地漁港と呼ばれたりもする)と隣接した商業施設であり、ここ魚の駅で海産物を販売する「とれたて館」というのは、まさに漁港直結の新鮮さをアピールした名称だろうと思われる。
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(別日撮影のため空が明るいし、全然違う角度から撮ってた…)

オタクある

オタクあった
自分の実家からちょっと行ったところの施設にアニメキャプが掲示される時代になるとは思わなかった……。
一番わかりやすいスポットだからか、ステッカーの減りが一番早そうだった。1枚限定になっていた。
ちなみに、『ざつ旅』のアニメでも登場した、新鮮な魚を指す言葉として大変有名な富山の方言「きときと」であるが、個人的にはおじいちゃんおばあちゃん含めて、実際に使っている人をみたことはない。
ただ、漁業が盛んで海産資源豊富な富山湾を有する富山県において、新鮮な魚を指す合言葉としての「きときと」というのは、県内外で非常に知名度がある言葉なのは間違えない。大体、県内の知名度は回転寿司チェーンの「きときと寿司」の影響がデカいだろ、と個人的には思う。あと「富山きときと」みたいな歌があって学校で覚えさせられるのだが、公式で上がってそうな動画がなかったので気になったら調べて見て欲しい。2
ちなみに、魚の駅で食事をしたことは……ない! 実家が近すぎるし結構混んでていい値段するので……(すみません!)

黒部漁港
案外アニメでは出てこなかったが、魚の駅の裏側はもう漁港なのである

黒部市コミュニティーセンター
魚の駅のすぐ隣にあって、北方領土資料室がある
このあたりのことを知らない方からすると「なぜ富山に北方領土資料室が?」と思われるかもしれないが、生地の漁業と北方領土返還運動については切っても切れない関係がある。北方領土から引き上げてきた富山県出身者の数は北海道についで2番目であり、そしてその元島民は、ここ黒部市において生地に多く居住しているのだと言う。
北方領土から引き揚げてきた富山県出身者の数は1,425名にのぼります。これは北海道についで2番目に多い数です。なぜ遠く離れた北方領土に富山県人が多く住んでいたのでしょう。北方領土周辺海域は水産資源の宝庫であり、サケ・マスやタラ、コンブ漁が盛んに営まれていました。
一方、明治期の富山の漁村は漁業不振や相次ぐ災害等で疲弊し、活路を見出すために北海道、更には北洋へと新たな漁場を求め進出していきました。富山県人は「越中衆」と呼ばれ、持ち前の忍耐強さと勤勉さで綱元達から大きな信頼を得、早くに島での生活基盤を定着させていったのです。
黒部市においても、明治中頃から生地地区を中心とした漁民が出稼ぎ漁で北方領土を目指し、明治の終わり頃からは家族ぐるみで主に歯舞群島に移住するようになりました。渡島した県内出身者の6割にあたる835名が黒部市出身であり、根室・歯舞群島のコンブ漁は私達の先人によって開拓され、発展したといっても過言ではありません。(黒部市ホームページより)
元島民は、ほとんど黒部市と入善町に集中しており、世帯数、人数ともに95%に及んでいます。黒部市では生地、入善町では芦崎地区に多く引き揚げて居住し、地域的には黒部川の河口をはさんだ沿岸漁村に集中しています。魚津からは経田地区が主でした。黒部市出身者は志発島中心に多楽島、水晶島など歯舞諸島に広く分布しているのに対し、入善町出身者は、志発島へ集中的に渡っていました。
渡島年代を歯舞諸島についてみると、大正の中ごろから1935年(昭和10年)までに渡った世帯が多くみられました。(北方領土問題対策協会ホームページより)
つまり黒部市は北方領土問題について北海道に次いで当事者意識の強い地域、と言っても過言ではない。
他の県の方々がどうかはわからないのだが、実際学校でも黒部の子どもたちは何かしらの行事で北方領土問題について叩き込まれているのである。また私の経験でも、そうした講習会に来るのは親戚の人だったりするわけで、なんとなく身近な問題としての意識がある。そもそも、私の祖母も北方領土から引き上げてきた人であったと言う(別にあまりこのあたりの話を、祖母と熱心にやるわけではないのだが)
こうした背景を踏まえると、黒部漁港のすぐ近くに北方領土資料室があるということの必然性もわかる。
富山が近場では採れないはずの昆布消費大国であるというのも、この北海道との歴史的なつながりの深さからくるものである。魚の駅の近くにも昆布屋さんとかがある。おにぎりに昆布をまぶしたうえで中に昆布を入れていくよ。
さて、いい加減『ざつ旅』のカットをもう少し振り返っていく。
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魚の駅から海方面へと南下している。
俺のばーちゃんちがここからめちゃくちゃ近い!
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この清水は皇國晴酒造の敷地内にあるのだが、生地にはこんな感じの清水(しょうず)という湧き水が大量にある。飲料水として飲める。
ところで、アニメ内では生地の観光スポットとして清水しか紹介されなかったが、はっきり言って生地といえばここ! というスポットが何故かスルーされている。せっかくなので私が紹介しよう。

生地中橋
ここや!!! 生地中橋!!!
生地中橋は、富山県黒部市生地の黒部漁港に架かる可動橋。昭和期に黒部漁港拡張のために動力昇降式可動橋となり、後に現在の、橋の片側を軸として回転する片持ち式の旋回式可動橋に架け替えられた。これは日本では最初であり、世界でも珍しい橋である。
(黒部宇奈月温泉観光局 公式サイトより]
ということで、結構珍しいらしい。
いや、大したことないって思うかもしれんけど、生地なんて漁師町やからそんな気の利いた観光スポットとかあんまなくて……でもこの橋は一応結構珍しいらしいんよ……。魚の駅 生地からフツーに海の方に南下するとここに出るので、せっかくだし見ていって欲しい。

生地中橋
船が来るとこいつがググっと回って、黒部漁港に船が行ける、というわけだ。回っているときは当然道は通れないので、遮断器が降りる。
どのぐらいの頻度で回るのかはあまりわかってないが、生活しているとちょいちょい通れないことがあるので、そこそこ回っているらしい。
ついでにこの近くには海を渡るための海底トンネルがあって、まぁ普通に地下トンネルってだけなんだけど、海の下を通るのでこれもちょっと珍しいらしい。小学校への通学とかで使われているらしい。
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ざつ旅一行が2話の最後で訪れた生地の浜。魚の駅からはちょっと東の方へ移動していて、もうちょっと行くと石田ぐらいのスポットだった。
撮影日が異なるので、この写真は快晴になってしまった。この日はなかなかないぐらいに気持ちの良い天気で、外にいて気持ちがよかった。
少々話がそれるが「日本海は雲が多い」というイメージが改めて浸透しているのか、最近TLを見ていても北陸に来て天気が良いとガッカリするような様子をたまに見かけるが、自分としては北陸の空をイメージだけで捉えないで欲しいと思っている。冬季は除くが北陸の空はいつも曇ってばっかりというわけではないし、ちゃんと晴れることだってある。
晴れた日の富山に来てみて欲しい。青空をバックに雄大にそびえる、北アルプスの風景が実に美しい。はっきり言って全然富士山にだって負けないよな? と思う これは曇り空よりも、よっぽど素晴らしい富山の景色だと自分は思う。ただし、青空でも関東に比べてちょっと白味がかかっていたりする。「いつも曇り空」というのはイメージでしかないが、こうした細やかな空の違いを感じることこそ、本当の日本海側を味わうことではないだろうか。

菜の花の向こうに見える連峰(入善町)
『ざつ旅』で思いっきり曇りだったのだって、近年の曇り空の擦られ方を見ていると、ちょっとわざとらしいな、とか個人的には思ってしまう。もっとも『ざつ旅』の空については演出意図も感じるので、それ込みだとは思うのだが。
なお、今の話は全部冬季は除く。 日本海側の冬型の気圧配置では、例外なく曇り空が続く。 冬場に来たらほぼ絶対に曇っているので、冬に来て曇っていなかったら流石にガッカリしても良い。
正月に北陸新幹線で帰ると、長野駅ではあんなに快晴だったのに、山を超えた瞬間に重苦しい雲が広がる空になって、それを見ると毎回「ああ、戻ってきたのだ、日本海側に……」と、感じる。富山を離れて個人的にビックリしたことランキング1位は「冬場ってこんな晴れてるものなんだ」である。3
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ところで、個人的になんとなくヨソとの劣等感を感じているのが、この生地の浜がコンクリートブロックの浜ということだ。やっぱり砂浜の華やかさに比べると、どうにもやっぱりレジャーができる海とは違うよな、みたいな気持ちが湧いてくるわけで。
一応市内でも石田の方には砂浜があって、海水浴ができる。じゃあ海水浴好きなのかよ、と言われると石田で遊ぶの全然特に好きじゃなかったので、ないものねだりってだけなのだろう。ちなみに西側の、荒俣の方は砂利の浜である。ゴツゴツしていて、華はない。
日本海側の浜なので、大陸からの漂流物がある。あとたまに北朝鮮から水上スクーターが来たみたいな話が出て、ちょっとピリっとすることがある。日本海あるある……。
でも改めて見るとやっぱり海は綺麗だし、好きだ。


生地の浜
ところで、先程『ざつ旅』の空模様には演出意図があると思われるという話をしたが、これは『ざつ旅』ではラストシーンで雲間から光が差す「薄明光線」が見える、というシーンがあるからだ。これは雲がかかっていないと見られない景色だ。
これが結構神秘的なのだが、富山にいる時は確かに結構見かけた気がする。雲から光が差していればいいのでもちろん関東とかでも見られる気象現象だが、日本海側のほうがよく見る気がする。やっぱり雲、多いんかなぁ……。4

『ざつ旅』での薄明光線
今回海では見られなかったが、黒部宇奈月温泉駅のあたりで見かけたので、せっかくだし写真を掲載しておく。

黒部宇奈月温泉駅付近
やっぱ雲、多いんかなぁ……。
おわりに
ということで、『ざつ旅』にかこつけた黒部トーク、三日市~生地編だった。8割ぐらいアニメ関係ない話だろって気がするが、地元にアニメキャラ来て嬉しかったので、はしゃいでしまった。許して欲しい。
ところで、今回やりたかったことに「富山の湾岸沿いをサイクリングする」というものがあった。どうにも「富山湾岸サイクリングコース」としてある程度整備されているようで、ナショナルサイクルルートにも認定されているコースなのだそうだ。今回はほんの少し、入善~黒部のあたりを走ってみただけなのだが、快晴の中海岸沿いを走るのはメチャクチャ気持ちよく、最高だったので良かった。実際サイクリストも結構見かけたし、親しまれているコースなのだと思う。
今回はあまり体調が優れずに予定の魚津~富山~高岡~氷見などのあたりは走れなかったのだが、ぜひまた気持ちのいい季節に自転車を持ち込みたいものだ。

富山湾岸サイクリングコース | ナショナルサイクルルート | GOOD CYCLE JAPAN | 国土交通省

魚の駅 生地にマップもあった
実家にいる時には持たないスポーツサイクルに乗っていると、知っている場所なのにどこか違うような、車とも違う速度での移動になるので、ちょっと独特な気分だった。自転車に乗っているときというのは、自転車に乗ること自体が目的なので、私の気分も普段以上に旅行者になっているのかもしれない。そうした目線で地元を見た時に、ただ漫然と住んでいるだけでは見えない魅力も見えてきた。
黒部川扇状地のあたりって、自分としては知ってる土地すぎて、そんな観光するような場所だとふつうは思えないのが、やっぱり正直なところだ。でもそこで敢えて観光をしてみようとすると、けして「なにもないんですね、ここ」というだけではないようにも思えてくる。
“ざつ"に訪れつつもフラットな目で旅行先を楽しむ『ざつ旅』のスタイルに触れたからこそ、そうしたものを私も教えられたのかもしれない。

にゅうぜんフラワーロード2025

入善の海沿いにて

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本記事のアニメキャプチャ画像は全て、以下作品より引用。
『ざつ旅 -That’s Journey-』 ©石坂ケンタ/KADOKAWA/「ざつ旅」製作委員会